咀嚼音が許せないから

ミソフォニア症(音嫌悪症)をご存知ですか?咀嚼音を中心にあらゆる音に過敏になり、ストレスを感じる症状です。このブログではこの症状を中心に心理関係の記事を綴っていきます。

ミソフォニアが軟化しました(前回更新から3年)

3年ぶりの投稿です。

そして記事紹介でもなんでもなく、報告レベルのことを書きます。

ミソフォニアが軟化しました。

なぜ軟化したのかは分析できていません。

意識したのはとにかく逃げることです。

咀嚼音がしそうだと気付いたら近づかず逃げる。

聞こえたらイヤホンをして逃げる。

とにかくその場を立ち去る。

そして、ミソフォニアについて考えることや調べることからも逃げました。

一週間前、仕事で懇意にさせていただいている上司にお酒に連れて行ってもらいました。

その上司は一般的な所謂おじさんで、咀嚼音もさせていたのですが、不思議と平気でした。

常日頃その上司に気にかけてもらっており、その行為に感謝していること。

そして「おじさんとはこういうもの(咀嚼音をするもの)」と納得していること…いつ、どんなきっかけで納得したかはわかりませんが、とにかく納得できているのです。

魔法のように、スイッチのように変わったわけではありません。

月の満ち欠けのようにだんだん変わっていきました

これは日記のようなものです。

これを読んでいるみなさんの参考にならないかもしれませんが、報告します。

ミソフォニア 記事紹介

jp.wsj.com

 

>食事中に他人が出す音に耐えられないとき、その人が口を閉じてかむべきなのだろうか。それとも、口を閉じて我慢すべきなのは、あなたのほうだろうか。
>専門家たちは、あなた方が我慢すべきだと指摘する。確かにマナーの悪い人は存在する。しかし、気になるからと言って、他人の食べ方を変えさせることはできない

悲しいけどその通りです。治す方法がないという事が辛いところ。


>音に過敏なことで生活に支障が出ている音嫌悪症の人は、人口の20%に上る可能性があると専門家は指摘する。

これははじめて聞きました。カミングアウトしにくい症状ですからね。「誰にも言ってないけど、実はミソフォニア症です」という人は多いのかもしれません。あるいは、無自覚なミソフォニア症のひとびと。
全ての人々が無理やりカミングアウトする必要はないと思うんです。
ただ、せめてミソフォニア症そのものの認知度は上がってほしいなと思います。

>これを精神疾患として扱うべきか否かについては、医師たちの間で現在議論が交わされている。音嫌悪症を扱ったドキュメンタリー映画「Quiet Please...(原題)」は来年夏に公開される。

これも初めて聞きました。日本公開はされなそうですが…。

>専門家は音嫌悪症の原因の1つとして、脳の聴覚系、辺縁系、自律神経系間の神経結合の高まりにあるかもしれないと論じている。

神経結合の高まりを緩和するアプローチでどうにかなりませんかね(笑)
研究が深まることを期待します。

ミソフォニアを発症したことで失った自由

ミソフォニアを発症してから約15年が経ちます。
はじめて他人の咀嚼音が気になり始めたのは中学生の時分でした。
昼休みの給食の時間で聞いた教師の咀嚼音が始まりでした。

教師は遠慮なく口を開けながら咀嚼し、私はそれを醜いものと感じていました。
気にし始めると止まらず、両親の咀嚼音が気になり、他のひと(気になってしまう対象は大人が多いです)の音が気になり、対象はどんどん広がっていきました。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつですかね。使い方違うかもしれませんが、つまり気になる範囲はどんどん広がっていってしまったのです。大人の男の/クチャ音 だけでなく、ペチャ音だったりおばあちゃんの発する音だったり…。

 

出来るだけ1人でお昼を取るよう工夫し、家でも自室で食べるようになりました。
高校は比較的自由な校風だったので、わざわざ自宅に戻り食事を取り、午後の授業に向かうなんてことも(苦笑)

 

外での活動は一人が楽です。一人でいる場合には咀嚼音から逃げる方法があるからです。イヤホンだったり席を変えたり店から出たり。

 

今日も外食時にとなりのひとの「ペチャ音」に大きなストレスを感じました。大きなストレス、と濁してますが、「今すぐお前を殴ってその音を辞めさせてやる」という強い攻撃心が起きています。この情動は内面から起こるもので、「思わない」事を選ぶことは出来ません。そして情動を抑え込むこともまたストレスなのです。

それがミソフォニア症の辛いところです。


今回はひとりでいたので音楽を流すことで回避できました(コレ、みなさん共通するかわかりませんが、私は自分の咀嚼音は平気なんです。勝手なものです)が、考えれば考えるほど、失っている自由の大きさを感じます。

というのも、「ひとと一緒に食事を共にする」事を封じるのは、様々な社会的交流を封じることに繋がるのです。
気になる異性と食事をする、友達と食事をする、知り合いと食事をする、仕事上の付き合いでの食事会、冠婚葬祭etc...
なにかイベントに行かねばならないとき、「もしかしたら不快な音を出す人がいるかもしれない」と想像するだけで、精神的な摩耗があります。

今回はただただ愚痴になってしまった(汗)
ほとんどの場合、ミソフォニアの話ってこうなるしかないんです。明確な治療法がないんですから…。
今、とある心理学的アプローチで希望を見いだせないか試行錯誤しています。なにかいい進展があれば報告します。

ミソフォニア症の認知度と気持ちの共有

私は他人の咀嚼音に対しミソフォニア症(音嫌悪症)を発症します。
ネイバーは読みやすいですね。
医学的見地から、且つシンプルに症状を説明できるページがあると助かるのですが、難しいでしょうね。いまだ研究も進んでいないし明確な治療法も確立されていないようです。

ミソフォニア、音嫌悪症

 
治療法はまだない。これはミソフォニア症を持つ我々にはショッキングな言葉のように思えます。でも、いま出来ることは確実にあります。
 
私はこう考えました。せっかくネットがあるんだから、自分の症状、を発信しよう。経緯を綴ろう。気持ちの変遷を記録しようと。
……すみません。いまこの時点で出来ていないので説得力ゼロです。
 
ただ、こうやって個人が声を上げることで、ミソフォニア症の認知度の向上に繋がればいいなと思っています。
 
人々が認知をすればマナーが変わるかもしれない。
マナーの変わった世界は今よりも生きやすいかもしれない。
これまでの成功例では…なんでしょう。
喫煙社会から分煙社会へ。
セクシャルハラスメントやマタニティハラスメント等各種ハラスメント。(思いつきなんですが、音のハラスメントはサウンドハラスメントでしょうか)
少しでも生きやすくなりたいですね。
 
 

医療の研究の分野には疎いのですが、認知度の高まりは研究の促進に繋がるのでしょうか。治療の需要と研究の進歩は比例するのでしょうか。
答えはわかりません(だれか教えてください)

ただ、気持ちの発信、気持ちの共有はいま、我々に必要な事のようにおもいます。

前回の記事のコメントから引用させていただきます。
「~同じ気持ちの方がいるととても嬉しいですね。記事更新、楽しみにしています。」
私も同じ気持ちです。

 

ミソフォニア症・音嫌悪症紹介ページとこのブログについて

matome.naver.jp

 

~いつからか噛み砕く音、すする音、クチャクチャ音に感じていた違和感が、次第に蝕んでいった~

 

~ミソフォニアの人は、「人が出す音」に対して強い怒りや恐怖を感じたり、目から入ってくる刺激に怒りや恐怖を感じる~

 

~音恐怖症の人にとって、人がものを食べるときにたてる音、クチャクチャとかペロペロとかの音が耐えられないほどの不快感を与える~

 

研究が進んでおらず、診断基準も明確化されていないために認知度は非常に低い症状です。

 

この症状の辛さは当人しか理解できないものです。

誇張なしに、咀嚼音を聞いて得る不快感、攻撃感情は「ぶっ殺してやる。今すぐその首を絞めて殺してやる」というレベルまで高まります。

また、ひとと共有がしにくいのもミソフォニア症の特徴です。

「ひとの出す音が辛い」と言っても「おかしいんじゃない?」で終わってしまいそう

「たかがそんなことで苦しむなんて…」と思われるのではないか

精神疾患を疑われたら関係がおかしくなるかもしれない

これらは個人的な感想ですが、つまりカミングアウトがしにくい症状なのです。

「食べる音を出さないでください」とことばに出しにくいですよね?

よっぽど仲がいい人だったり家族であれば話せるかもしれませんが、日常的にランダムに他人と出会う外食ではほぼ無理でしょう。

仮に話せたとしてまでの道のりはとても長い。繰り返しになりますが、この症状の辛さは当人にしか(あるいはミソフォニア症を持つひとにしか)理解できないものなのです。

そしてそれは孤独なものです。

 

当人しか理解できないうえに共有しにくい。こういった特徴がこの症状の認知度の低さに繋がっていると思うのです。

「こんな症状をもつひとも世の中にはいるんだ」と少しでも認知度の向上につながればと思い、このブログを立ち上げました。